好きなものを好きなだけ

好きなコンテンツを勝手に感想を言うだけのブログ。ただのアンチはする気はありませんが、個人的な批評や希望等は書くことがありますのであしからず。

SH Neinについて

祝15周年!!

でuser名に鳥居を付けた人であなたもローラン?!という発見がある中、ずっとかけないでいたNeinの感想をかこうと思います。主に作品とライブについてです。商業的なことはまた機会があれば。

何故ずっとかけなかったかというのもNeinはどストレートにすき!!!となれなかったから。もちろんSHは好きですし、Neinも嫌いなわけではない。ので言葉にするのがとても難しかった。

投稿一個目から苦言ぽくはなりますが(アンチではないのです、あくまでファンです)あくまで個人的な感想です。ご理解いただける方のみお読みください。

 

コンセプト

 

テクノ調の表題曲(当初、Bastetがタイトルではないかといわれていた通り、ネコ耳ちゃんたちのパートは、エジプトテイストもあるようなメロディーライン。)と、SF風味のジャケット。あいかわらずyokoyan様の絵はすてきですね。

当初、Bastetがタイトルではないかといわれていた通り、ネコ耳ちゃんたちのパートは、エジプトテイストもあるようなメロディーライン。

解釈違い(むろん解釈は自由)が恐らくないであろう範囲のストーリーとしては、

現代日本的な世界観に生きるノエルというミュージシャンの青年が、西洋骨董屋根裏堂という不思議な店に迷い込む。そこで《遮光眼鏡型情報端末(the Remarkable,Evolutional and Valuable Optical-device)(サングラス)》を入手する。その機能はどうやら、事象を否定して物語の可能性を変えるというもの。それにより我々はノエルとともに、今までSHのアルバムの中で語られてきた物語の結末が変わったものを聞かせられていく…といった感じ。今までのアルバムのif展開が語られていきます。テーマ的にとても面白いとおもいます。

 

ということで

 

メロディー

 

楽器等の専門的なことについては私は語れませんのであしからず。

表題曲は、好みの問題はあれ、どんな種類の曲でもやれるSHらしさがあってとてもよく感じました。今までにあまりないテイストですが、Revoイズムがあってすきでした。

そしてif展開の曲たち。今まできいてきた曲たちのアレンジメロディーが多分に含まれております。私、同じようなメロディーラインが変わっていくのとても好きですMoiraが好きだと叫びたい。

そして最後。またノエルに戻ってきます。これもこのみはあれどRevoRevoしくてよかったのではないでしょうか。

 

ストーリー

 

さて、うまく語りづらいのがここから。

セルフ二次創作ともいえる今作ですが、前提として”今までの話が好き”なんですよね。SHのいいところは一個一個聞いても面白いし、アルバムを通して聴いても面白いし、アルバムをまたいで聞いても面白いところ。

ですが、今回は1曲1曲のストーリーがそこまで好きになれなかった。というか、ここも嫌いですと言えたら楽なんですが、嫌いではないんですよ。おもしろいとは思う。if設定というところもおもしろいし。けれど今までの曲と並列にできるほどではない。という感じ。なんというかそれじゃない感。

それも当然で、最終的なこの物語の主人公の出した結論は「やり直しのきく物語で本当の意味でもえられただろうか?」であり「否定しないでくれ」なんですよね。簡単に言ってしまえば結論も、改変前がいいよねということ。

私は、これまでの物語にRomanを感じていたのですが、其処にRomanがなくなっちゃった感じの曲が7曲。構成的にしょうがないということもわかっているのですが、作曲と作詞と物語三拍子そろうよさが、これまでの作品に比べてどうしても落ちてしまうと思いました。なのでノエルが出てくる新規ストーリー部分、表題曲、屋根裏堂等は好きになれました。

ただ、なんでしょうね、Moiraは最高に笑いました(笑)

 

歌詞

 

ストーリーについては上で語りましたので、言葉の構成・様式といった意味です。これもRevoRevoしい、面白い言葉遣い・語彙の豊富さ・韻の踏み方はさすがだなと思います。

が、金銭的にキャストをいっぱい呼べるようになった結果、歌詞に1人称視点が増えた。キャラ1にに対してちゃんとVocalが1おけるんですよね。その結果、私はこうした、私はこう思ったという歌詞が増えた。説明調というのか。近年はやりのなろう系ラノベ的一人称。KAORIさんが腕をきられたおっさんの話をしたりそれになぐられていた女のセリフを言ったり、客観になったり俯瞰になったりが違和感なく自由だった物語音楽だったんですが。Baroqueみたいに一曲くらい私は私はって曲があっても(まああれ全部語りですからさらに面白いんですが)面白いですが今作は全体的にでした。だから意図してやろうとしてるのかどうなのかわからない。

Marchen(うちづらいので以下ウムラウトなしで失礼します)くらいからややその傾向にはあったんですが、あれは、絵本という前提があったのでなんとなく設定にもあっていてよかったんですが、今回はちょっと多いなと感じました。なので全体的な歌詞の仕上がりとしてはいまいちな印象をうけました。

 

コンサート(ライブ)

 

やや苦言多めです。でも複数回行きました。だってSHがすきだから!

席の料金や待遇?の話は今回はしません。というか私はそれはあまり気になりませんでした。余談ですが、物販が神スムーズでした。SSAの寒さはもう思い出さないよ。

まずかんじたのは予算増えたなー!!ということ。すごいところは一個一個の衣装と小道具とか。イラストに忠実でした。再現率!またライティングとかクオリティが高い!!とにかくすごい。

しかし、全体的な印象としてメルコンがすばらしかったが、それを悪く引きずっている。気がしました。

①ダンサー

メルコンのイドダンサー、私としてもすごく好きでしたし、人様のブログ等で感想をみてもそれに触れてほめている方もいらっしゃったイメージでした。ぞわっとする演出も多々あり、怪しげで妖艶でまさにいどまじん(ちがう)。

ハロパも今回も同様にダンサーさんがいました。

ただこのダンサーズが、もちろんメルコンの時と違うのは衣装なんですよね。みんな黒い服に猫ぼうしなんです。まあ黒猫で黒い服はいいんですが。

キャストの髪と目が見えるんですよね。メインキャストのクオリティーが上がっている分、地毛と目がみえるとお遊戯感というか、滑稽な感じがすごい。某ネズミの国では、特に女性ダンサーさんは、赤茶色のボブなんかでもわざわざみんな地毛で行かずウィッグをかぶってます。多分その無個性の方が魔法の国の住人らしさがでるからだと思います。

イドダンサーは同じ髪型同じ仮面で目元を覆いドイツの世界観から日本人を消してもっと言うと白塗りで人間味をなくしてみんながいどまじんになっていた。バンドまで。

ですが、今回のはR.E.V.Oの遣いたちにみえなかった。ハロパも同様だったんですがあれは、会場がSSAだったんですよね。顔や細かいところはほぼ見えない距離感だったんですが、会場が小さいだけに、ほぼ西洋風味の世界に現代日本人らしい人が猫ぼうしをつけている感じがいまいちでした。

いどまじんは最終的に姫たちが同じような仮面をとイドオーラ(いい言葉がみつからない)的なものをまとって歌っているから、井戸の妖精としてその辺を飛ばれていても違和感がないんですが、あの猫は表題曲以外のどの曲の世界にも異分子で違和感でしかない。

というか普通に演技をする俳優もいて、アリーナでなくあの広さの舞台ならダンサーはSHコンにおいて必須ではない気もします。そして、やるなら各世界に合わせた衣装を用意してほしかった。今回は地平線が違いすぎるから、ずっと同じテイストの衣装は無理があったようにおもいます。

②小道具・大道具

メルコンのときは教会や井戸が大きめのものとして頻出していましたが、今回はすべての曲の世界観が違うので共通シンボルは置きづらかったと思います。

ですが出てくる出てくるいろんなセット。そして最近の曲は(if設定もあり)一曲の中でもシーンがころころ変わるので大きめの装置が出たり入ったり…作れているのも一個一個のクオリティもすごいんですが、全部出さなくてもいいのでは?それこそダンサーがいるのでそういうのや手ぶりで補ったり。コンサートではなくて舞台だったらまた別かもしれませんが、一曲の中で大きめの装置や人の集団がとりあえず出てきてはけていくとなんかおもしろくなってしまう。あわただしいし。

③録音源

今回のライブ私が一番舞台に立っていただきたかったのはミシェルでした。沢城さんらじゃなくて代役でもいいですから該当するパートを歌っていただきたかった。今回のifではないメインストリームパートである西洋骨董屋根裏堂で1/3-1/2を占めているミシェルパート、そして新規メロディたっぷりのところがあてぶりでした。

あくまで舞台ではなく、音楽グループのコンサート(ライブ:ストコンとライブを分けているのはわかっております)だととらえているのでとても残念でした。舞台演出が面白くできるかよりも歌を歌えるかを優先してほしかった気持ちです。初音ミクは、あれは一種新しい挑戦だったからそれでいいとは思うんですが。

ライブに関しては予算が増えて、できること・つくれるものが増えすぎて、全部やっている感がありました。今後ちょっと間引いてもいいと思います。そして全部が全部を絵面で見せてくれなくてもいいとおもいました。もちろん演技等ゼロはさみしいですが。コンサートに物語音楽を聞きに来ているので。とくにシーン展開が激しいとなんだか滑稽に見えてしまいました。

 

声優と物語音楽

 

ライブに入れようかとも思ったのですが、一番気になったので独立させてもらいます。Romanのときに取り入れられていたような歌オルタンス:YUUKI、セリフオルタンス:田村ゆかりのようなマクロス方式ともいえるようなスタイルで2期は始まりました。Neinでは基本同じ人がやっています。私が普段、ゲームやアニメが好きな生活をしているのでというところもあるんですが、今作、歌手の方のセリフが今回すごく気になりました。

私の中で、声優でない2期からの当初よく参加されていた歌姫は、領拡(ライブ)をやっていくなかで、セリフもやるようになっていった印象です。当初のメイド喫茶Arkから、かなりの数のライブを重ねて、SH色のようなものを理解し、シリアスに聞けるセリフになっていったように思います。Neinは新規歌姫が多かったので、もう声優・舞台女優じゃない方は、これこそあてぶりでよかったんじゃないかと思います。もちろん皆さん歌は最高です。

Marchenは話に作為的嘘があるかもしれない的設定もあったので、棒っぽいセリフに慣れない人がしゃべるとむしろいいわざとらしさの演出として聴けました。

本編は回数もこなしているのでまだましですが、おまけとはいえアンコールが特に気になりました。それこそ好きな楽曲たちだったので、セリフも込みで物語音楽だと大事にしてほしかった。舞台女優さんも役パートはいいんですが、ナレーションは感情が入りすぎて気になります。自分が普段アニメ等にふれる機会が多いこともあるでしょうが、予算があるならこれこそ録音ではいけなかったのかと思います。

なのにミシェルは録音。歌姫がセリフもやるようになっていったのは、Liveや生へのこだわりだと思っていました。LiveにおいてCDではハモリは本来同一人物の別どりなのに、別の人がハモリに入ったり、生にこだわった故セリフも生になっていく。なによりLive参加回数が多い歌姫はその辺はつかめているので聞けるものになっているとおもっていました。

しかし、歌は録音。たしかに絵面的な舞台上の演出としては、ミシェルはあてぶりにして、メインキャラの歌とセリフは同じ人がしゃべった方がいいと思います。しかし、物語音楽のコンサートです。物語音楽においてセリフ、その間や言い回しはとても重要だと思います。何より音楽とセリフとのはまり具合がSHは一体となっていて素敵でした。沢城さんや中村さんをいろんなモブ出来る便利人間にしておかないで、必要な時にきちんと声優で声を大事においてほしいと感じました。そしてコンサートでは歌こそ生で。絵面に引っ張られすぎている感を感ぜざるを得ません。そしてナレーションも英独日すべて同じ方。彼は確かにいい声ですし、1人のほうがライブによびやすいですが、最近セリフやナレーションへのこだわりが少なく感じています。

ここ数年のLHSHの曲で一番好きだったのが13の冬なんですよね。曲(メロディー)と言葉選びに関してはずっと不満はないのです。これに関しては、セリフは入っておらず、歌詞の視点の変わり方もナチュラルです。進撃のOPED も視点に関しては自由でいいと思ってます。石川さんは声優ですが、もう、いれるとおざなり感が出るならセリフはない方がいいようにも思います。

 

だらだらと書いてきましたが、やはり私としては

・ライブの1:1キャスティングと再現可能な演出にひっぱられて、録音パートにするところやセリフ割や歌詞の構成が制限を受けているように感じるところ。

・セリフやナレーションのおざなり感

・メルコンにおいて”は”よかったコンサート演出を微妙な形で引き継いでハロパもNeinも同じ形態の演出を取ろうとしているところ。

が気になりました。

もっと、コンサート演出を主催や主催に近い人から引き離して、マッドジョージさんの時くらい放り投げたほうがいいのかもしれない。餅は餅屋に。基本、私は愛のないむやみな実写化とかあまり好きではないのですが、ちょっと愛のないというかあまりSHに思い入れのないけどいいものを作る気はある人にコンサートは全部投げて(バンド等音の面以外)解釈の自由演出にしたほうが全く違ったものが見れていいのかもしれないと思います。

1:1キャスティングな歌詞や、ミシェルのように声を変えながら歌う歌姫を出さなかったのは、やはり今回は1期歌姫への抵抗感もあったのでしょうかね。あの時代にできなかったことをしてやる…みたいな。離そうとすることは意識しすぎることと同義な気もします。もう彼女ありきでないことは皆わかっているので、彼女にできたテイストから離れようとしすぎるのも違う気がします。このいきおいでいくとRinneに胡散臭いキャラが1人もでてこないのでは。

LHもやっているしどちらかというと今はストーリーメイカーとしてより作曲家として乗っている時期なのかなとも思います。

 

SH史的に勝手にみて

 

クラシックの作者の人生と作られた時期とかを照らし合わせて考察する人いますよね。ちょっとそういう感じで。苦言では全くないのですが、超勝手な妄想部分です。解釈の自由の拡大解釈。そして書きたかったことではあるんですが、以下言葉がかなり不自由。

繰り返しますが、このif設定というのは本当に面白い作りだと思います。長年やってこなければできない。

またこれは、紅蓮の弓矢で一発あてた後だから作れたアルバムだなとも思います。

ストーリー的歌詞的話なのですが、いままでのSH はいうなれば陰キャ的哲学脳だと思います。愛とは褥に使えるための奴隷ではない。それに比べて今回のif設定は陽キャ的実践脳といいますか。会いたくて会いたくて愛してたら震えるんだよ!みたいな。これも1人称多い理由だと思いますが。

お金とか名声と言っていいか分からないんですが、ある程度内輪的評価だけでなく外的評価をうけたからこそ、そういう陽キャ脳もわかる、理解したよ。わからんでもないよ。でもね、やっぱ哲学、すてきだよね。みたいなアルバムだったと思います。そしてお金と評価をある程度手に入れた人が次に立ち向かうのが

”咲く花やちりぬるを神代の時より繰り返す 私はそれを美しいとは思ったことがない”。永遠の命かと思うと胸熱です。実際フルがどんな曲かはまだわかりませんが、楽しみに妄想しております。もちろん全然違うテーマでもいい。SHとテクノ調もありでしたがSHと和もありありの雰囲気がすでに漂っているので楽しみ。

 

結局

 

以上、苦言もあくまですべて私の好みの話です。だらだらと書かせていただいて、ただ本当になにを言っても最終的な結論として、Revoイズムな曲も物語音楽もSH固有で、やっぱりいいんですよね。いうてNeinも何度も聞いたし。15周年HPの曲もあれだけの尺ですがもうスタートのメロディーからあーーーーーーーーーーすき!!!!ってなりました。皆様同様日本神話的なものを調べてしまいました、ええ。コロナで世間は大変ですが、星間超トンネル聞くとまたのりこえてやったぜって言えるように生きていかないとって勇気がもらえます。この曲領復に参加した時に歌ってくれて、いいなって思いました。もうほんといいこと言うんだからやっぱり好きなんだよなSH 。結局ローランで結局1番好きなアーティストはSH。結局CD買うからRinne早く出ないかなー。